「みんなと同じになれない」エネルギーの暗さと力強さ。―映画【アナと雪の女王】についての雑記―
これまで多くのディズニーの主人公たちが、物語の始まりに、いわゆる【Wantソング】を歌ってきた。
たとえば、美女と野獣の「朝の風景」。
町の人達に「変わり者」と引かれるベルが「おとぎ話みたいに素敵なできこと」を求める気持ちを歌う。
タンポポの綿毛を飛ばすシーンに憧れた人も多いはず。
泡が立ちのぼるようなメロディが素敵なリトル・マーメイドの「パート・オブ・ユア・ワールド」は、
父親に反発するアリエルの地上の世界に憧れる歌である。
ノートルダムの鐘では、寺院の中にまさに物理的に「閉じ込められた」主人公が、
外の世界に憧れる気持ちを歌う。
(そういえば、ラプンツェルも物理的に塔の外へという気持ちだ)
いずれも所属するコミュニティの中で「どこか人と違う」主人公が、
小さな世界では満足できず、大きな世界に飛び出したい!というエネルギーを歌う歌たち(=Wontソング)である。
それはちびっこたちに大きく希望を抱かせるメッセージであろうし、
同時におそらく、かつて「自由」を貫きイギリスを離れ、
荒野を開拓して生きてきたことに原点を持つアメリカの姿でもあるのかも知れない。
前置きが長くなったが、今回の【アナと雪の女王】のエルサの歌うWontソングは暗い、ものすごく暗い!
いや、サビのところとかものすごくいいメロディだしエルサの表情はイキイキしてるし、
跳んだり回ったりすると氷の城がどんどん作られていくところなんかは私たちの「氷とか透明で硬いものに対する子供心的な憧れ」(小さいころ、氷で思いっきり遊んでみたかったよね? この映画はそれを擬似体験できるよ!)みたいなものもあってなかなか「暗い」感じはしないんだけども、
歌ってる内容は「いろいろどうせ無理だからもういい!」っていう吹っ切れソングとも言えるような後ろ向きなことでした。
暗いWontソングといえばかつて’98年の「ムーラン」も他の主人公たちのように「外に飛び出したい」前向きなエネルギーというよりは「プレッシャーや呪縛が強すぎてここから出るのは難しい」という要素の強いシリアスなWontソングでしたが、今回はそれともまた違う。
これまでディズニーは「自分らしく生きよう」というメーッセージを何十年にもわたって発信し続けてきたわけですが、
自分らしさを貫くことは同時に周囲とのつながりを断絶してしまう/孤独に生きることでもあるということはあえて描いてこなかったように思います。
今回の【アナと雪の女王】はそれに正面から向き合った作品ではないでしょうか。
そういう意味で今回の【アナと雪の女王】は、
セルフパロディみたいにディズニー自ら作ったおとぎ話のイメージへの皮肉とブラックジョークたっぷりな「魔法にかけられて」よりも、
「おとぎ話の定番」を崩しにかかった「プリンセスと魔法のキス」や「ラマになった王様」よりも、
あるいみずっと斬新な作品だと思います。
あとこれ、芸術活動する人たちにはすっごく共感できると思うのですが、
何かをつくるにあたって「負のエネルギー」って動力源としてはすごいんですよね。
怒りとか怖さとか世の中に対する不信感とか。
それで作ったものがなぜかカッコよかったり魅力的な作品になったりするのですが、
でもそれって基本的にはキモいし悲しい力で。
「冷たい」とか「暗い」イメージのある氷の力に吹っ切れてイキイキ歌うエルサを見て、そういうのを感じました。
でもなんかたまにそういうのをすごいすごーいって言ってくれる人がいて複雑な気持ちで、
でもそういう存在が自分と社会を繋げていたりして。
エルサにとってそういう存在が、アナだったのかなって思います。
この映画はエルサを孤独に向かわせる(でも魅力的な)負のエネルギーと、
世界との共存の話なのかなって思いました。
ところでプリキスや魔法にかけられてあたりから怪しくなってきてましたが今回なんか「プリンス」が全然「ハッピーエバーアフター」として機能しなくなってきてるのが面白いですね。
果たしてディズニーの向かう先はこれからどうなっていっちゃうのか要チェックであります。