『思い出のマーニー』に漂うナルシズム ~映画全編を覆う水のイメージ~
「私は私が嫌い」、だけど「あなたのことが大好き」。
※ネタバレありです
土曜の錦糸町の、カップルの埋め尽くす劇場で、思い出のマーニー見てきました。
映画は
「私は私が嫌い」
という主人公・杏奈のモノローグから始まります。
oh...予想していたより陰鬱なオープニング……
「思春期の女の子同士の同性愛っぽい関係」といえば、不穏な予感しかしません。
1972年フランスの「小さな悪の華」
とか、
とか、
他にもエコールとか17歳のカルテとかピクニックアットハンギングロックとか、
思春期の女の子同士を扱った映画ってどうしてこんなにも不穏なものが多いんでしょうか。
ところで今回の『思い出のマーニー』ですが、
意外なことでしたが、主人公・杏奈はマーニーに会いに行くたびに倒れて路上で発見されるし、マーニーは夢の中にも出てくるし、
マーニーは実在せず、空想上の産物であることが映画では案外はっきりと示されています。
「お屋敷に独りで暮らす、美しい孤独な少女」という思春期の女の子の憧れを詰め込んだような設定の少女・マーニー。
これは「私は私が嫌い」な杏奈が、自分を愛するようになるまでの物語。
自分の妄想の産物であるマーニー=理想の自分を作り上げ、愛し、そのマーニーが自分を愛してくれることで、(なんて周りくどい作業)
杏奈は自分を愛することができるようになり、自分が周りの人たちに充分に愛されていたことに気付くことができます。
マーニーは実は杏奈の祖母の若いころの姿だった(重大なネタバレにつき反転処理)という大オチの意味するところも、
「自分の一部である」ということを補強するためというような気がします。
注目したいのは、全編を覆う水のイメージ。
杏奈は水辺の町に住んでおり、水の向こうにあるマーニーの住む屋敷を見つめています。
マーニーに会うにはボートを漕いでいかなくてはなりません。
よって、この映画は全編水の音に覆われています。波の音、パドルに押し出された水の動く音、水の中を裸足で走る濡れた音。(暗い映画館で見るととても気持ちいいです。入眠作用が…)
ギリシア神話に登場するナスキッソスが、水の表面に写った自分の姿しか愛せなくなり、スイセンの花に変えられたエピソードが表すように、
水とは自己愛の象徴と考えることが出来ます。
少女が自分を愛する、自己愛の物語は、全編が水の音に覆われていました。
今回は短めですが以上です。
余談ですが、「空想の中で好きな女の子に『あなたが必要なの!』と言わせる」あのシーンは、マルホランド・ドライブを彷彿とさせるような。