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映画コラムと小説を書いています。ダメ女子によるダメ女子のための映画本『ダメ女子的映画のススメ』通販中です。右のリンクよりどうぞ。

『ダメ女子的映画のススメ』を紹介していただいた記事一覧

5/4(月祝)の文フリお疲れ様でした!

今回の販売に当たり『ダメ女子映画のススメ』はたくさんの方にご紹介いただきました。

まとめてご紹介させていただきます。

 

 

<イベント前に紹介していただいたサイト>

 

●こにまおさんちのアヴァラジ!

note.mu

ラジオの後半の方に紹介していただいてます。

有名サークルさん、実力派サークルさん、新規サークルさんまで網羅していてすごいですね。 文フリの初心者さんにもオススメの内容でございます!

 

 

<イベント後に紹介していただいたサイト>

 

●オタ女さん

otajo.jp

マゾヒスティック・リリィ・ワークスは2番めに紹介されています!

オタク女子向けニュースサイト「オタ女」さんだけあって女子的に興味深いサークルさんありまくりですね? チェックチェック~

(ライターさんは赤木の「ゴーン・ガール」評が面白かったと言ってくださいました。ありがとうございます!)

 

●kugyoを埋葬する さん

d.hatena.ne.jp

 

『ダメ女子』のほかにも他にも面白そうな本がたくさん…感想が楽しみですね!

 

 

ツイッターなどでいただいた感想>

 

 

 

 皆さん本当にありがとうございます。

検索にかかったものはすべてまとめたつもりですが、「ねえぞゴルァ(#゚Д゚)!!」という方がもしおりましたらご一報ください!

また、イベント全体の感想はまたべつの記事に書かせていただきます。

 

 

追伸、『ダメ女子的映画のススメ』は6月中旬から通販開始、9月の大阪文フリにも参加予定です。遠方の方もぜひ~

私は言葉を使っているとき、知りもしない誰かに操られている~イミテーション・ゲーム /エニグマと天才数学者の秘密~

機械と人間の間にほんとうの理解はないから、

人間と人間の間にも、ほんとうの理解はない。

 

 

※ネタバレありです(実話なのでネタバレというか微妙ですが…)

 

最初はサスペンス要素を期待して見に行ったんです。ていうかポスターアートがそれっぽすぎないですか?!

加えて「エニグマ」という言葉の響き(中二心の永遠の憧れ!)もサスペンス感を醸し出しています。

ところがどっこいフタを開けると哲学映画であり、同性愛映画であり、深い深い映画でした……。

 

映画の元になったアラン・チューリングの人生をざっとまとめると、イギリスの数学者で、エニグマ暗号機による暗文を解読する機械「bombe」の開発者。bombeの開発はコンピューターの基礎を築いたと言われ、コンピューターの基礎概念を作ったと言われている。戦後、同性愛の罪により逮捕され(ていうか同性愛=犯罪だったのってほんのン十年前までだったんですね…)、41歳で自殺。

 

  • 正直イマイチな序盤

 

最初は正直言ってノれなかったんです。

というのも、これ事務系の仕事の人は割とみんな思うんじゃないかと思うんですが、普段仕事でエクセルを使ってたりすると、「特定の文字を検索する」とか「検出されるまで総当りで調べる」とか聞くと、どうしても関数やマクロを使って解く方法を考えてしまって、

いや、もちろん彼らがコンピューターの基礎を築いた功績があったから私たちのコンピューターを使う現在があるんだとわかってはいるんだけど、

例えば中盤、暗号化された文字の組み合わせを一つ一つ試す機械を作って喜んでる主人公たちがどうしても「昔の人」な感じがしてしまうのです。

必然的に、身近な問題としてではなく「昔の人の映画なのね」という感想に……。

 

あと、ヒロインがパーフェクトすぎる。

突然表れたクロスワードパズルマニアの一般人であるヒロインは美人で、なぜか天才数学者である主人公よりも有能でさえあります。しかも、その理由が一切語られないし。

ホモセクシュアルの主人公さえ彼女のことが好きになるっていうのも、なんか都合よすぎる気がするし。

採用も「男性ばかりの職場では体裁が悪いです」と一回断るところとか、「私は女よ。嫌われたら終わり」と言いながら誰にでも感じよく接する(でも業務に一切支障なし!そんなことってそう簡単かな?)ところとか、私もフェミニストですが、以上の事情は私たちの親世代のフェミニストたちにさんざん言われてることのせいか、ちょっと説教臭くも感じました。

どうにも女性を描きたいがための記号のような印象を受けてしまいます。いや、記号なら記号でいいんだけど(そういう映画もいっぱいあるし)、「記号」に説教されると、ちょっとなあ。

 

  • 哲学映画の姿を見せ始める中盤

 

以上の理由でちょっと問題ありな序盤ですが、後半の展開から評価がひっくり返されました。

 

だって、よく考えたら皆さん、もうね、「戦中に国を勝利に導いたのに戦後は同性愛のせいで国から攻撃された天才数学者」って、完全にジャンヌ・ダルク的悲劇じゃないですか。製作側は彼を悲劇のヒーローとして描くことがいくらでもできたはずじゃないですか。で、このタイミングでそれをやったら大いに問題になったはずです(アメリカン・スナイパー論争はそろそろ終焉したのだろうか……)

でもこの映画、そうじゃないんですね。

切ないほどドライな視点で、「人間が人間を理解することなんてできない」という結論に落ち着いていくんです。

 

主人公(=チューリング)はエニグマを解読するための機械を「クリストファー」と名づけ、恋人のように可愛がっていました。

「クリストファー」はチューリングが子供のころに片思いしていた男子生徒の名前。

彼が唯一の親友だったチューリングは、クラスメイトである彼と毎日毎日暗号化した手紙をやり取りし、ついに「 I love you 」と書いた手紙を渡す決心までしました。

ところがクリストファーは突然チューリングの前から姿を消します。チューリングは校長から、実はクリストファーは亡くなって、結核で余命いくばくもない体だったことが明かされます。

「唯一の親友を亡くすのは辛かろう」と気遣う校長に対して、結核であることなど彼から一度も知らされなかったことにショックを受けたチューリングは無表情につぶやきます。

「誤解です。彼をよく知りません」。

 

このセリフがこの映画の最もテーマに迫ったものと言えるでしょう。

よく考えるとこのセリフは映画の中の重要なシーンと、いくつもいくつもリンクしています。

 

例えば、生きていたころクリストファーが、初めて数学の本をチューリングに手渡すシーン(0と1が大量に並んでいることから、プログラミングの指南書?)。

クリストファーはクロスワードパズルについて、「ひとつの言葉では当てはまらないから、同じ意味の別の言葉で試す」と説明します。

チューリングは「普通の言葉とどう違うの?」と返します。

チューリングは私たちの普段しているコミュニケーションをこう説明します。「ほんとうの意味と違うのに別の言い方をする。でもみんなが理解する」。

 

これだけだとわかりにくいので、私の解釈をちょっと補足します。

人が人に何かを伝えようとするとき、まず最初に「気持ち」があります。そのままそれをテレパシーできればいいのですができないので、私は「気持ち」を、「言葉」という相手と自分の共通の道具に置き換えます。

相手は私の「言葉」を受け取り、その意味を理解します。

このとき、当然ながら相手は私の「気持ち」を100パーセント理解しているわけではありません。私から「言葉」を受け取った相手は、自身の知識や経験と照らし合わせて「言葉の意味」を解釈し、理解する(あるいは理解したことにする)のです。

「相手」の気持ちなのに、「自分」の中の意味を引っ張って解釈するのですから、当然そこには齟齬が生じます。

しかも「言葉」は、私たちが、チューリングが、クリストファーが生まれるずっと前から、ずっと世界にあったものなのです。私たちが知りもしない誰かが考えたものなのです。私たちは「言葉」を使ってしか気持ちを説明できないし、自分自身のことも理解できないので、私たちはその「言葉」に、自分の気持ちを、自分自身のアイデンティティを当てはめさせられます。

例えば、私だったら「女」という言葉に。「日本人」という言葉に。私が生まれた時点で世界に「女」「日本人」という言葉があったのです。なので私は他人にそう理解され、自分自身もそう理解させられます。

そう、チューリングの場合は「アスペルガー症候群」「同性愛者」という言葉に。

 

最大にわかりやすいのは予告でも使われたチューリングが刑事と対話するシーン。

「教えてくれ、機械は人間と同じように考えることが出来るのか?」と聞かれたチューリングは少し考えてこう答えます。

「質問が変だ。違うふうに考えることは、考えていないことになるのか? 機械は人間と違うふうに考える。だが人間も同じだ。それぞれの脳が違う風に考えて、別々のハードを持つ」

 

一般的に、アスペルガー症候群の人は「機械みたいだ」と人によく言われます。

チューリングは「機械と人間を同列に考えている」のです。チューリングにとっては人ではないもの/コンピューターも、自分ではないもの/他人の脳も「自分とは違うハードを持つもの」であり「理解できなさは一緒」なのです。

フェミニストをはじめ、リベラル派の人たちは「他人とは同化できないしするべきではない」という考えから発想が出発します。

チューリングの思考はなんて平等な思考でしょうか。

非常に現代っぽいと感じます。

 

私の解釈では、この映画はチューリングの人生を、ただヒーローの悲劇的な人生として描かず、彼の生涯を描くことでこう発信しています。

人間がコンピューターを理解できないように、人間は人間を理解できない」。

そこから差別も偏見も起こりうる、ということが、この言葉の意味の一つとして含まれています。

 

「人が人を理解することは出来ない」と彼がわかっていたように、「ついに理解されなかった」同性愛者の彼は、戦後、男性との性行為が国にバレ、男性ホルモンの投与(いわゆる「化学的去勢」)を強制され、41歳のとき自殺。

 

「私がなんとかする」と言うヒロインにチューリングは「私からクリストファーを奪わないでくれ」と泣いて頼みます。「クリストファー」と名づけた解読機を大切に大切に手入れし、「クリストファー」と2人で暮らしていたチューリングは、警察に没収され、壊されることを泣いて拒みます。

久しぶりにヒロインが尋ねたときには、彼は投薬治療によりクロスワードパズルすらできないようになっていました。

 

私自身、昔彼と非常に近い状態に陥ったことがあります。ホルモン系の病気になり入院しているときだったのですが、話そうとすると「言葉」が何も出てこない。言われた「言葉」の意味がつかめない。何か意味を掴み掛けたと思うと忘れる。ずっとどもってる。言葉に出来なければ、私の頭の中で何が起こっているかなんて家族も気づきません。みんなが「バカ」という目で見てきます。

子供のころから書くことだけを生きがいにし続けてきたのです。もう二度と書けないのだろうかと思うと、地面が揺れるような、めまいのような感覚にただただ呆然としていました。

 

だから、最後に字幕で表れる「41歳のときに自ら死を選んだ」の文字に納得しました。私も、もしあのとき治らなかったら彼と同じ道を選んだかもしれません。

 

映画の序盤「昔の人」にしか思えなかったチューリングは、映画の終わりには完全に共感する人物になっていたのでした。

 

もちろん、共感できたのは投薬治療のエピソードだけのおかげではなく、それまでの積み重ねがあってこそ。

すばらしいと思ったのはベネディクト・カンバーバッチの「言葉以外の演技」。

まず、「運動神経悪い演技」が見事(笑)「触るな!」なんて威勢のいいことを言うわりに、ちょっとどつかれただけで倒れちゃう(しかも、上半身が硬直しているw)のは運動神経悪い者としてあるあるでした。

それから、彼の感情が爆発したシーンに何回かある「走る演技」。これはスティーブン・ダルドリー監督の映画「ものすごくうるさくてありえないほど近い」のアスペルガー症候群の少年があふれる感情に耐え切れずブワーッと喋りだすあのすごいシーンを思い出しました。

ラストのみんなで文書を燃やすシーンの笑顔なんて、「言葉に置き換えられないもの」を役者が身体で表しています。

ベネディクト・カンバーバッチお見事。彼の演技は初見でしたが、人気あるのも納得です。

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<余談>

※どうにも、まるでタダシを失ったヒロが兄の優しさを具現化したロボットであるベイマックスを相棒としたことと重ね合わせてしまいます。「科学の前では身体的ハンディもなくなる」という同じ科学者スピリット映画ですが、ベイマックスが「未来と希望」の側面を描いているとして、この映画は「過去と現実」を描いているのかもしれない…とつい対比してしまいます。

 

<宣伝>

「映画評論は男性が中心だし、TUTAYAの女性向け映画コーナーはキラキラしててムカつくのでダメ女子のための映画評論を作りましょう!」がテーマの「ダメ女子的映画のススメ」という本を文学フリマで発行します。

現物も届いたよーいい感じ!

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【公式サイト】

ダメ女子映画のススメ

 

文学フリマ

c.bunfree.net

夢を望むな、でも夢を忘れるな ~主人公が凡人に戻る映画、イントゥ・ザ・ウッズ~

イントゥ・ザ・ウッズを見てきたので記事を書こうとひさびさはてなアプリを立ち上げました。

ネタバレあんまり気をつけないで書きますね。

 

 

イントゥ・ザ・ウッズ オリジナル・サウンドトラック

イントゥ・ザ・ウッズ オリジナル・サウンドトラック

 

 

 

まず、オープニングクレジットのいつもと違う暗~~いシンデレラ城、超イイ!

いつものあのシンデレラ城のオープニング映像ありますよね。

 


ディズニーオープニング Disney op シンデレラ城 - YouTube

 

きゃ~ステキ! けっこうこれだけでテンション上がります。

でも、イントゥ・ザ・ウッズの始めに見せられるのは、無音の中、暗い緑色の照明の中に沈む、不気味なシンデレラ城。

「この映画はいつものディズニー映画と違いますよ」という製作側の覚悟を感じました。

 

オープニングに引き続き、この映画は出だしが本当に、本当にイイのです。

 

皆さん思い出してください。「美女と野獣」のオープニング(朝の風景)。

ベル、街の人々、ガストン、登場人物の1人1人のストーリーが加わって、重なっていくあのワクワク感。

ベル、街の大人たち、ガストンだけでもあんなに楽しいのに、今回はシンデレラ、赤ずきん、ジャック、パン屋夫婦、魔女、総勢6人ですっごい時間をかけてあれをやるのです。

見知ったストーリーの主人公たちの歌が重なって、最後6人になった瞬間の興奮といったら!!!

 

 

で、肝心の映画はどうかというと、

まるで「迷走期ディズニー」を見ているかのようでした…w

※迷走期ディズニー:名作「美女と野獣」が絶賛されて以降、「あれ以上の作品はもう作れないよ症候群」にかかってディズニーが迷走しまくっていたと言われている時期。「ヘラクレス」「ノートルダムの鐘」「ラマになった王様」などの珍作を連発している。

 

結論から言ってしまうと、総評はこんな感じ↓

 

まず、距離感表現は致命的だったと思います。

一つの「森」を舞台に各キャラクターの物語が交差していく物語なのに、この監督は距離感の見せ方が上手くなくて、各キャラクターたちが「誰が」「どこで」「何を」してるのかわけがわからないんです。

各物語が交差していくところにこの映画の最大のエンターテイメント性があるのに、これで面白さが半減してしまっています。

 

歌と歌の間がダレる&歌ってる間の役者さんたちの動きがどうにも「手持ち無沙汰」に見えてしまうのも見ていて若干の気まずさを感じました。……監督のロブ・マーシャルは振り付け師ですが、シカゴと違ってダンスが全くないのも点数を大きく逃してしまっているかもしれません。

 

でも、でもこれでいいんです。

後半のある衝撃的な展開から、この映画の伝えようとしてるあるテーマがはっきり浮かび上がってきます。

そう、この映画は「アンチ・カタルシス」の形式をとっているんですね。

※アンチ・カタルシス:観客が望んでる展開・・感動する、お涙頂戴にしない演出を取ること

参考:アンチカタルシスとはどういう意味ですか? - 観客が望んでる展開・・感動... - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12130477997

 

この映画は大きく分けて2部構成になっています。前半はシンデレラ、赤ずきん、ジャック、パン屋の夫婦がそれぞれの望みを叶える物語。

後半は、夢を叶えたことによる主人公たちの責任と贖罪の物語。

主人公たちの住む森は、ジャックの豆の木によって下りてきてしまった巨人に破壊し尽くされます。

この破壊の原因となった豆の木が生えてしまった理由もまた上手い。

(巨人が怒ったのは夫の巨人が殺されたからで、

夫の巨人が殺されたのはジャックがハープを盗んだからで、

ジャックがハープを盗んだのは赤ずきんがハープを盗ってきてと言ったからで、

赤ずきんがハープを見たがったのはそもそもジャックが巨人の世界に行ったからで、

ジャックに豆の木の豆を与えたのはパン屋の亭主で、

その豆を植えてしまったのはシンデレラでした)

つまり、全員に原因があるのです。

主人公たちの歌う“悪いのはお前 - Your Fault”では、それぞれが責任を押し付け合い、

そもそも森に行けと言った魔女が悪い!と魔女に詰め寄ります。

 

この、責任の擦り付け合いからの魔女の開き直りのシーンは最もテーマに切迫するシーンであり、映画最大のハイライトでしょう。

 

「巨人が来て、みんなぺちゃんこ。どうせみんなぺちゃんこさ」

 

と魔女は不吉に繰り返します。

自分から必死に願って、それが叶った主人公たちは、その結果お互いに責任を擦り付け合い、最後にはそんな争いも業も関係なくすべてを救う「死」が待っています。あれ? それって、何か最近聞いたことありませんか。 そう、高畑勲かぐや姫の物語』の世界観と全く同じです。

なんとシビアな映画でしょうか。

 

「お前たちは“お人よし”だね。悪でも善でもない、“お人よし”。私は魔女、“正しい人”。正しいことをする」

 

自らの祖先が魔女狩りに関わっていたことに罪悪感を抱えていた1800年代の作家、ナサニエル・ホーソーンは著書“緋文字”の中で、普通の人が魔女と呼ばれる過程を描いています。

夫が死に、未婚の母となった主人公へスタープリンは、同調圧力の強い小さな村の中で“普通”から外れてしまい“魔女”と呼ばれ、晒し者にされました。

 

完訳 緋文字 (岩波文庫)

完訳 緋文字 (岩波文庫)

 

ディズニー過去作である“ノートルダムの鐘”の中の、ジプシー(=異教徒)であるエスメラルダも、フロローに魔女と呼ばれていました。

 

魔女は“みんなと違う人”。それは異教徒や、へスタープリンのように“みんなと同じ”よりも“正しさ”を優先する人です。(魔女狩りの歴史が明白に示すように、中世には常識から外れた順に多くの女性が魔女とされ、殺されました)

以上の意味も含んでいるのか、本作イントゥ・ザ・ウッズの魔女もまた“未婚の母”ですね。

 

凡人は人のせいにする。

凡人は同調しない人を排除する。

どうでもいい、私のことは好きに言うがいい。

魔女はこう言っているんですね。

そして主人公たちへのこのセリフは紛れもなく正論です。

こうなると、もう誰が正しいのかわかりません。

 

さて、ではこの映画は、解決策として私たちに何を提示するのでしょうか。

物語もいよいよラストです。

パン屋の亭主、シンデレラ、赤ずきん、ジャックは絶望の淵から、お互いに確かめ合うように歌います。

「私たちは1人じゃない」

1人じゃないからこそ、物語の中で働いた暴力に責任が発生する。

でも、1人じゃないから力を合わせて巨人を倒せる。 

 

そう、この映画は「主人公が凡人に戻る物語」。

「1人じゃない」というセリフは「凡人だ」と同じ意味です。

作品のテーマは「夢を望むな、でも夢を忘れるな」。

 

実は物語の中盤からそれは示唆されていたのでした。

ジャックは「雲の上から見下ろす世界、僕の家があんなに小さく見える。その中間に住みたい」と歌っていますし、

シンデレラは「家でいじめられるのは辛い現実、王子との結婚は夢。私はその中間がいい」「でも王子を忘れない」と言っています。

シンデレラは情緒不安定かと思うほど毎晩王子から逃げ出しますが、物語的にはちゃんと意味があったのです。シンデレラは現実と夢の間で迷い、中間を望むという意味が。

王子と浮気し、夢と現実を「両方欲しい」と願ってしまったパン屋の妻は、崖から落ちて死んでしまいます。

死ななければならなかった。この映画では、夢を願った人間(おとぎ話の主人公たち)には試練を、夢と現実両方を願った人間(パン屋の妻)には罰を与えられるのです。

 

この映画は「おとぎ話の中で主人公が行ったのは暴力です」と言っている。

確かにその通りで、言われてみれば、本作『イントゥ・ザ・ウッズ』で取り上げられたおとぎ話は、みんな主人公たちの自分勝手な願いの末に、どれも犠牲が生まれています。

シンデレラの姉は足を切られ目を潰され、

ジャックは巨人を殺し、

赤ずきんでは狼が死んでいる。

 

私たち凡人の社会では、殺されても「悪人だから仕方ない」では通りません。

シンデレラをいじめたことと、小鳥に目を啄ばまれてしまうことは何の整合性もありません。オオカミだって生きるために赤ずきんを食べることは悪いことなのか?と聞かれればこれは壮大な問題です。少なくとも、犠牲者を出しておいて主人公はハッピーエバーアフター☆という「ご都合主義」こそ、他者への暴力といえるでしょう。

主人公に対して「君のやったことは横暴だ。どう落とし前をつけてくれるんだ」とシビアに迫るストーリーは、アリスインワンダーランド(2010,ティム・バートン)に近いかもしれません。

 

アリス・イン・ワンダーランド [DVD]

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その集大成がラストの曲、“子供たちは聴いている - Finale: Children Will Listen”。

主人公たちはテーマの核心部分を歌っています。

 

「忘れないで。巨人は善人かも、魔女は正しいかも。それはあなたが伝えるの。子供たちは聞いている」 

 

このラストシーンは物語の抱えている原罪を、私たち大人に問うています。

(私が5月4日に発行する新刊『ダメ女子的映画のススメ。』にも書いていますが、「伝え方によって事実が決まってしまう」というのは、デヴィッド・フィンチャー監督“ゴーン・ガール”にも近いものがあります。)

 

 

だからこそ、だからこそ本作は「痛み表現」を捨ててしまったのはあまりにも惜しい!

本作が、クラシックディズニーがやらなかった、「痛み」の表現をやっているのは非常に面白いポイントでした。ざっと数えるだけでもかなりあります。

 

・シンデレラが姉に殴られて ぶっ倒れる。

ラプンツェルは髪を引っ張られる痛みに顔をしかめます。

・王子は茨に突っ込んで目を潰すし

・なんと死人が2人も出ます(ジャックの母親は頭を打って死に、パン屋の妻は崖から落ちて死ぬ )

 

おそらく本作はもっともっと痛みをちゃんと痛々しく表現するべきでした。やれるところはいっぱいあったはずなのに、毎回わざわざ捨てちゃってるのです。

髪が千切れるところは全然あっさりしてるし、シンデレラが殴られるところなんかフリだけなので、SEと全然あってなくて違和感ありまくりという、残念な結果に…。

 

「いや、おとぎ話だからスルーされてるけど、実際やったら超痛いはずだよね?!」と聞き返してくるこの感じは、上にさんざん書いたとおり、この映画のテーマ的にとてもとても大切な要素だったのです。

「痛み表現」、「グロテスク表現」さえちゃんとやれば、この映画は欠点を一掃してあり余る傑作になったはずです。

 

それをできなかったのは、監督が良しとしなかったのか。それともディズニーの限界なのか。

先ほどこの作品を「暗黒期ディズニーみたいだ」と言いましたが、方向性が定まってない感じがすごく「美女と野獣」後の90年代ディズニーを思わせました。

主義主張がブレブレの映画を乱発してて、でも腐ってもディズニーだから技術は最高だし役者も最高で、それがまるで「腕力はものすごいあるのに闇雲に振り回してるイカレ野郎」の感じでめちゃくちゃ面白かった、と私は思います(すいません)。

 

本作『イントゥ・ザ・ウッズ』は、ディズニーにできないことを可視化しているようにも思えます。

よく考えれば、いまのディズニーにできないことなんて他にあるでしょうか。

現代ディズニーは、クラシックディズニーが作ってしまった恋愛至上主義からの逃走を「アナと雪の女王」で描いているし、「ムーラン」などに描いてしまった雑なアジアイメージも「ベイマックス」で払拭しています。

 

アナと雪の女王」がプリンセスブームが作ってしまった恋愛至上主義への反省を踏まえた「アンチ・プリンセス」なら、

このタイミングでティズニーが「アンチ・カタルシス」である本作を扱ったということはクラシックディズニーが作ってしまった「ご都合主義的物語」の反省を踏まえているのかもしれません。

 

これが暗黒期なら、ディズニーが過去にアナ雪でそうしたように、次作でまた「すごいディズニー」に化けるのかも。

ベイマックスはあんなに上映してたのに、早くも公開が終わり始めている本作は、もしかしたら興行的には失敗なのかもしれませんが、志はあまりにも立派です。

もしもディズニーがアンチ・カタルシスを、痛み表現を描くようになれば完全無欠になるかもしれません。

一緒に見届けましょう、オススメです!

 

以上、イントゥ・ザ・ウッズ評でした。

 

 

☆☆

 

5月4日の文学フリマで「ダメ女子的映画のススメ」を発行します。

よろしければぜひ。

公式サイト:ダメ女子映画のススメ

c.bunfree.net

5/4(月祝)文学フリマにて【ダメ女子映画のススメ】を発行します

5/4(月祝)の文学フリマでこんなのやります

 

ダメ女子映画のススメ

 

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バービーガール、パーフェクトガール
赤木 杏
トイ・ストーリー2』 (2000,米)
トイ・ストーリー3』 (2010,米)

変容する『ほんとのワタシ』論
赤木 杏
Mr.インクレディブル』 (2004,米)
くもりときどきミートボール』 (2009,米)
アナと雪の女王』 (2013,米)

「少女の成長」界のイケピンク革命
赤木杏
ブラック・スワン』 (2010,米)
イノセント・ガーデン』 (2013,米・英)

ホモソーシャルは女を恐怖する
赤木 杏
『悪の法則』 (2013,米)

『アナザー・ハッピー・デイ』に見るオタサーの姫の生態
赤木 杏

『アナザー・ハッピー・デイ ふぞろいな家族たち』 (2011,米)


少女たちのハードボイルド
赤木 杏
『エンジェル ウォーズ』 (2011,米)
ダンサー・イン・ザ・ダーク』 (2000,丁)
パンズ・ラビリンス』 (2006,墨)

 

詳しくはHPをご覧ください。

 

子供に嘘をつく親映画

 

このツイート⬇︎が話題になっていたので思ったんですが、

 

 

 

この方に限らず、何の前触れもなく「えっ、そんなこと言う人いるんだ?」って場面に遭遇しちゃってゾッとする瞬間てありますよね。

 

こういうの見ると「ひどい…」というより

「何でそんなこと言ったんだ?」と気になって仕方ないのは私だけでしょうか?

なので今回の記事は【子供にウソをつく親映画】について書きたいと思いました。

 

 

 

籠の中の乙女 (字幕版)

籠の中の乙女 (字幕版)

 

 

家から一歩も出さずに育てられた子供たちの話。

原題は“DOG TOOTH”。

「犬歯が抜けたら家の外に出てもよい」と教えられている子供たちは、

毎日お互いの口の中を確認し合っているのでした。

とっくに成人してる息子、娘たちが、

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塩のことを「お電話」って言ったりとか、
 
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一生懸命犬の鳴き真似をしたりとか、
 

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幼女みたいに踊ったりとか、

画面は明るいのに異様な絵面ばかり続く不気味な映画でした。

 

諸悪の根源の両親は別にものすごい悪人というタッチでもなくて、

間違ったことを次々教えては「可愛いわね、ふふふ(笑)」と笑ってる感じ。

三角締めでもてなしてでカミヤマ様も指摘されているように、

 

「お母さん、キクラゲってなに?」

「ペンギンの肉よ」

 

とサラリと嘘をつくみっちゃんのママ的遊び心。

伊集院光さんも「親ってさ、スナック感覚で嘘つくじゃん」という名言を残していますが、

「子供に一度も嘘をついたことはない」という親はほぼいないと思うので、だからこそこの映画は「ゾゾゾゾッ」とするわけです。

 

 

一方“キャリー”に出て来たのは
「初潮になったのは欲情したからだ」
と娘を責めまくる母親です。
 
閉じ込め、殴り、怒鳴り、
この母親は“籠の中の乙女”の父母とはエネルギーが比べものになりません。
それというのも、このお母さんは「初潮が罪」と心の底から信じているから、必死さもホンモノです。
 
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ラストシーンの抱擁は、
「行くとこまでいっちゃった人の哀愁」
みたいなカタルシスがあります。
 
 
 
というわけで、
パッと思いついた「子供に嘘をつく親」映画でしたが2つは対照的であり、
しかもどっちの親してもその手に負えなさに、
思わず暗〜くなってしまったのでした。
 
 
勉強不足のため、2つしか思い浮かばなかったのですが、
他にも「子供に嘘をつく親」映画、
ご存知の方がいたらぜひ教えてください。
ぜひ見てみたいと思います。
 
 
 
 
 
 

雑記

文フリお疲れさまでした。
友人の結婚式の帰りだったので途中からの参加でしたが、
中には声をかけてくれる方もいらっしゃって大変嬉しかったです。

どうやら今回販売した2冊は通販もできそうですので、
気になる方は続報お待ちください。


帰りに皆で渋谷にある【八月の鯨】に行きました。
映画のカクテルを作ってくれるお店なのですが、
なんだかんだで毎月給料の何割かをここに入れてる気がします(笑)


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こちらは『思い出のマーニー』。
なんだか象徴的な例の花売りのシーンですね。 


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こちらは友人が飲んでいた『エコール』。
原作の『ミネハハ』は今回販売した小説にも引用させていただきました。


ブログ、なかなか書けて書けませんが、
書きたいことばかりたまっていきます。

⚫︎ティムバートンの『アリスインワンダーランド』が実はすごかった話
⚫︎スティーブン・キングの『キャリー』が女たちの身体嫌悪だった話
⚫︎リドリー・スコット監督の『悪の法則』からホモソーシャルから見た女が読み取れる気がする話

次回はこのどれかを更新したいです。
特に、アリスインワンダーランドはティムバートン展やってる間に書きたいなー





以下、
そにっくなーすさんのサイト:
けしょうまわしでバトン髷|ぴいなつの頭ん中から超懐かしい『バトン』が届きましたので、記載。


1.いつもどうやってアイディアを出していますか。

→創作はずっとしたかったので、
今のところはわりとストックがいっぱいあります。

2.アイディアが出やすい場所は? オススメがあったら教えてください。

→会社からの帰り道が多い気がします。


3.作品を仕上げるのにどのくらいかかりますか?

→構想は早いのですが、書き始めてから数ヶ月かかります。
早く書ける人すごいですよね。

4.今までで一番嬉しかった感想は?

→決められません。全部嬉しかったです。

5.尊敬する人は?

→ヴァージニアウルフ、フランソワーズサガン江國香織

6.目標とかありますか?

→とりあえず長編を書き上げて文学賞に応募することです。時間ばかりがすぎ、焦ります。
あと5月にもう一冊、映画評論も出したいです。

7.書きたいジャンルは?

→純文学と
映画評論。
どちらもフェミ的視点から書いていきたいです。

8.回してくれた人の作品どう思う?

→文フリで仲良くなりました。素敵な人です。会えてよかった。
楽しい方ですが作品は非常に尖っててビックリ。

9.お疲れ様でした♪

→どうもどうも

10.最後に回したい絵描きさん字書きさんをどうぞ。

→みやこさん、キライシオリさん、maiさん、もし見てたらよろしくお願いいたします。
お忙しいと思うので余裕があったらねー!





ではまた。

サークル情報を修正しました

前回の記事にて、WEBカタログの情報を誤って載せてしまいました。

正しくはこちらです
https://c.bunfree.net/c/bunfree19/2F/%E3%82%A8/32
文フリ公式サイトWEBカタログ



また、スペースは【小説/百合】

○エ-32
×エ-12

です。
申し訳ございません。